憂きをなを昔のゆへと思はずは
いかにこの世を恨みはてまし
- 歌の意味
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つらいことを、やはり前世の報いだと思わなかったならば、どれほどこの世を恨みぬいたことだろう。
- 鑑賞
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巻第二十 釈教歌 1965
詞書「入道前関白家に十如是歌よませ侍りけるに、如是報」
経文の句や法会にちなむ諸家の歌の一連の一首目である。つらさを前世の報いと思わなかったなら、どれほどこの世を恨みぬいたことかと詠む歌である。詞書によれば、九条兼実の家で十如是の歌を詠ませた際に、如是報を詠んだ歌である。
この世のつらさを前世の因による報いと受けとめることで、世を恨む心を鎮めようとする、仏の教えに救いを見いだす心が表れている。
作者の「二条院讃岐」は、源頼政の娘で、二条天皇に仕えた女房歌人である。のちに後鳥羽天皇の中宮宜秋門院任子に仕えた。
十如是は、『法華経』方便品に説かれる、あらゆる事物のありさまを示す十の範疇で、如是相、如是性、如是体、如是力、如是作、如是因、如是縁、如是果、如是報、如是本末究竟等をいう。如是報は、因と縁によって後に受ける報いである。
初句「憂きをなを」は、つらいことをやはり、の意で、この世で受ける苦しみを示す。
二句「昔のゆへと」は、前世の因によるものだと、の意で、題の「如是報」を示している。
三句「思はずは」は、思わなかったならば、の意で、打消しの「ず」に「は」が付いた仮定の条件である。
四句「いかにこの世を」は、どれほどこの世を、の意で、恨みの深さを思わせる。
結句「恨みはてまし」は、反実仮想の「まし」で、恨みぬいたことだろうに、と結ぶ。三句の仮定と呼応し、報いと知ることで恨みがかろうじて鎮められていることを示す。
ゆゑ:わけ。原因
うらみはつ:すっかり恨みぬく
- 作者
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二条院讃岐
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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花のもと露の情けはほどもあらじ ゑいなすすめそ春の山風
- 次の歌
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渡すべき数も限らぬ橋柱 いかにたてける誓ひなるらん