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今ぞこれ入日を見ても思ひこし
弥陀の御国の夕暮の空

歌の意味
今こそ、これなのだ。入日を見るたびに思い描いてきた、阿弥陀仏の御国の夕暮れの空は。
鑑賞
巻第二十 釈教歌 1967

詞書「美福門院に、極楽六時讃の絵にかかるべき歌たてまつるべきよし侍りけるに、よみ侍りける、時に大衆法を聞きて弥歓喜瞻仰せん」
 経文の句や法会にちなむ諸家の歌の一連の三首目である。この世で入日を見るたびに思い描いてきた阿弥陀仏の国の夕暮れの空は、今まさにこれなのだと詠む歌である。詞書によれば、美福門院から極楽六時讃の絵に書き添える歌を献上するよう求められて詠んだ歌で、「時に大衆法を聞きて弥歓喜瞻仰せん」の句に合わせている。
 極楽に往生して、この世で西に沈む日に思いを寄せてきた浄土の夕暮れを実際に仰ぐ喜びを、往生した者の立場から詠んでいる。
 作者名は原文になく、前歌に続いて皇太后宮大夫俊成の歌である。皇太后宮大夫俊成は、藤原俊忠の子で、『千載和歌集』を撰進した歌人である。出家して釈阿と号し、藤原定家の父にあたる。
 極楽六時讃は、極楽の一日を晨朝、日中、日没、初夜、中夜、後夜の六時に分けて、その荘厳を讃える和讃で、源信の作と伝えられる。美福門院は藤原得子で、鳥羽天皇の皇后、近衛天皇の母である。
 西に沈む日を見て極楽を想う修行は、『観無量寿経』に説かれる日想観として知られる。

 初句「今ぞこれ」は、係助詞「ぞ」で強め、今まさにこれだと眼前の景に感嘆する。初句切れである。
 二句「入日を見ても」は、この世で西に沈む日を見るにつけても、の意で、日想観を思わせる。
 三句「思ひこし」は、思い続けてきた、の意で、過去の「き」の連体形が用いられる。
 四句「弥陀の御国の」は、阿弥陀仏の極楽浄土を示す。
 結句「夕暮の空」は、体言止めで、六時讃の日没の時にあたる。この世の入日と浄土の夕暮れを重ね、次歌の暁へと極楽の時が移ってゆく。

いりひ:沈んでゆく太陽。夕日
みくに:仏の国。浄土
作者
藤原俊成
出典
新古今和歌集
前の歌
渡すべき数も限らぬ橋柱 いかにたてける誓ひなるらん
次の歌
いにしへの尾上の鐘に似たるかな 岸打つ浪の暁の声