- 歌の意味
-
昔聞いた尾上の鐘の音に似ていることよ。極楽の岸に打ち寄せる波の、暁の響きは。
- 鑑賞
-
巻第二十 釈教歌 1968
詞書「暁至りて浪の声金の岸に寄するほど」
経文の句や法会にちなむ諸家の歌の一連の四首目である。極楽の金の岸に打ち寄せる暁の波の音が、昔この世で聞いた尾上の鐘に似ていると詠む歌である。詞書によれば、前歌と同じく極楽六時讃の絵に添えた歌で、「暁に至って波の声が金の岸に寄せる」場面を詠んでいる。
浄土の暁の波音に、この世で聞いた鐘の音を思い起こし、往生した者がこの世を懐かしむ心と浄土の荘厳を重ねている。
作者名は原文になく、前歌に続いて皇太后宮大夫俊成の歌である。皇太后宮大夫俊成は、藤原俊忠の子で、『千載和歌集』を撰進した歌人である。出家して釈阿と号し、藤原定家の父にあたる。
尾上の鐘は、山の頂の寺でつく鐘をいい、播磨国高砂の尾上の鐘が歌枕として知られる。
初句「いにしへの」は、昔の、の意で、往生する前にこの世で聞いたことを示す。
二句「尾上の鐘に」は、山頂の寺の鐘で、この世の鐘の音を思い起こさせる。本巻の第千九百五十五首で無常を告げた入相の鐘に対し、この歌の鐘は浄土の響きを思わせるものとなる。
三句「似たるかな」は、存続の「たり」と詠嘆の「かな」で、似ていることよ、と感嘆する。三句切れで、下の句との倒置である。
四句「岸打つ浪の」は、詞書の「金の岸に寄する」波で、極楽の宝池の岸を打つ波である。
結句「暁の声」は、体言止めで、六時讃の後夜の時にあたる。前歌の夕暮れから暁へと時が移り、次歌の式子内親王の歌も「暁」を詠んで続いている。
をのへ:山の頂。尾上
あかつき:夜明け前のまだ暗い頃
- 作者
-
藤原俊成
- 出典
-
新古今和歌集
- 前の歌
-
今ぞこれ入日を見ても思ひこし 弥陀の御国の夕暮の空
- 次の歌
-
静かなる暁ごとに見わたせば まだ深き夜の夢ぞ悲しき