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静かなる暁ごとに見わたせば
まだ深き夜の夢ぞ悲しき

歌の意味
静かな暁が来るたびに見わたすと、人々がまだ深い夜の夢の中にいるのが悲しい。
鑑賞
巻第二十 釈教歌 1969

詞書「百首歌の中に、毎日晨朝入諸定の心を」
 経文の句や法会にちなむ諸家の歌の一連の五首目である。静かな暁ごとに見わたすと、人々がまだ深い夜の夢の中にいるのが悲しいと詠む歌である。詞書によれば、百首歌の中の一首で、「毎日晨朝に諸定に入る」という句の趣意を詠んだ歌である。
 毎朝禅定に入って衆生を見守る地蔵菩薩の立場に立ち、迷いの夢から覚めない人々を悲しむ慈悲の心を詠んでいる。
 作者の「式子内親王」は、後白河天皇の皇女で、賀茂の斎院を務めた。藤原俊成に和歌を学んだ。
 「毎日晨朝入諸定」は、地蔵菩薩について説かれた句で、地蔵菩薩が毎日早朝に禅定に入り、衆生の苦しみを見守って救うことをいう。

 初句「静かなる」は、人の寝静まった暁の静けさを示す。
 二句「暁ごとに」は、毎朝の暁ごとに、の意で、経文の「毎日晨朝」を移している。前歌の結句「暁の声」と同じ語でつながる配列である。
 三句「見わたせば」は、禅定に入って世をあまねく見わたすことで、菩薩の視点を示す。
 四句「まだ深き夜の」は、夜が明けても、なお迷いの深い夜にいる人々を示す。暁の静けさと夜の深さの対比が効いている。
 結句「夢ぞ悲しき」は、係助詞「ぞ」を受けて連体形「悲しき」で結ぶ係り結びである。「夢」は迷いの世の象徴で、覚めない人々への悲しみを示す。

じんてう:早朝。夜明け方。晨朝と書く
みわたす:遠くまで広く見る
作者
式子内親王
出典
新古今和歌集
前の歌
いにしへの尾上の鐘に似たるかな 岸打つ浪の暁の声
次の歌
逢ふことをいづくにとてか契るべき 憂き身の行かん方を知らねば