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逢ふことをいづくにとてか契るべき
憂き身の行かん方を知らねば

歌の意味
再び逢うことを、どこでと約束できようか。このつらい身が死後に行く方角さえ知らないのだから。
鑑賞
巻第二十 釈教歌 1970

詞書「発心和歌集の歌、普門品、種々諸悪趣」
 経文の句や法会にちなむ諸家の歌の一連の六首目である。再び逢うことをどこでと約束できようか、憂き身が死後にどこへ行くかも知らないのだからと詠む歌である。詞書によれば、『発心和歌集』の歌で、『法華経』普門品の「種々の諸の悪趣」の趣意を詠んだ歌である。
 死後にどの悪趣に堕ちるかもわからない身の不安を、恋人と再会の約束ができない嘆きとして詠み、観音の救いを求める心を表している。
 作者の「選子内親王」は、村上天皇の皇女で、五代の天皇にわたって賀茂の斎院を務め、大斎院と呼ばれた。
 『発心和歌集』は、選子内親王が経文の句を題として詠んだ釈教歌を集めた歌集である。普門品には、観音が地獄、餓鬼、畜生などの種々の悪趣の苦しみを次第に滅すると説かれる。

 初句「逢ふことを」は、再び逢うことを、の意で、恋の歌の言葉を用いている。
 二句「いづくにとてか」は、どこで、と問う係助詞「か」による反語である。
 三句「契るべき」は、「か」を受けて連体形「べき」で結ぶ係り結びで、約束できようか、いやできない、の意である。三句切れである。
 四句「憂き身の行かん」は、つらいこの身が死後に行くであろう、の意で、経文の「悪趣」への不安を示す。
 結句「方を知らねば」は、行く方角を知らないので、の意で、上の句の理由を倒置して示す。前歌で式子内親王が迷う人々を悲しんだのに続き、この歌は迷う身の側の不安を詠む。賀茂の斎院を務めた二人の皇女の歌が並ぶ配列である。

ちぎる:約束する
あくしゆ:悪い行いの報いとして生まれる苦しみの世界。悪趣と書く
作者
選子内親王
出典
新古今和歌集
前の歌
静かなる暁ごとに見わたせば まだ深き夜の夢ぞ悲しき
次の歌
玉かけし衣の裏を返してぞ 愚かなりける心をば知る