このたびは幣もとりあへず手向山
紅葉の錦神のまにまに
- 歌の意味
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今度の旅は急なことで、幣も用意することができなかった。手向山の紅葉の錦を幣として捧げるので、神の御心のままにお受けください。
- 鑑賞
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巻第九 羈旅歌 420
詞書「朱雀院の奈良におはしましたりける時に手向山にてよみける」
上皇の奈良への御幸に供奉した折、手向山で詠んだ歌である。慌ただしい旅で神に供える幣を用意できなかったが、山一面の紅葉を錦に見立てて幣の代わりに捧げようと詠み、秋の山の美しさを神への捧げ物に転じている。
詞書の「朱雀院」は、譲位後に朱雀院を御所とした宇多上皇を指す。上皇は昌泰元年に奈良、吉野方面へ御幸しており、道真はこれに供奉した。手向山は奈良の東大寺の近く、手向山八幡宮のあたりの山とされる。小倉百人一首にも採られている。
作者の「すかはらの朝臣」は菅原道真である。学者の家に生まれ、宇多天皇に重用されて右大臣に至ったが、藤原時平との対立から大宰権帥に左遷され、その地で没した。のちに天満天神として祀られ、学問の神として信仰を集めている。
初句「このたびは」の「たび」は、「この度」と「旅」を掛ける掛詞である。
二句「幣もとりあへず」の「幣」は神に供える布や紙の捧げ物、「とりあへず」は用意する間もなく、の意である。ここで句切れとなる。
三句「手向山」は奈良の山の名で、神に供え物をする「手向け」の語を含み、二句の「幣」と縁語をなしている。
四句「紅葉の錦」は、色とりどりの紅葉を錦の織物に見立てた表現である。
結句「神のまにまに」は、神の御心のままに、の意で、紅葉の錦を幣として受け取ってほしいという思いを込めて言いさしている。次歌の第四百二十一首も同じ折に手向山で詠まれた歌であり、紅葉と幣をめぐる趣向を共有している。
たび:「この度」の意と、「旅」を掛ける
ぬさ:神に祈る際に捧げる布や紙、旅の道中では道の神に手向けた
とりあふ:その場で用意する、間に合わせる
たむく:神仏に供え物をささげる
- 作者
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菅原道真
- 出典
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古今和歌集
- 前の歌
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一年にひとたび来ます君待てば 宿貸す人もあらじとぞ思ふ
- 次の歌
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手向けには綴りの袖も切るべきに 紅葉に飽ける神や返さむ