秋来れば月のかつらのみやはなる
光を花と散らすばかりを
- 歌の意味
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秋が来ると、月の桂は実を結ぶだろうか、いや結びはしない。光を花のように散らすばかりなのに。
- 鑑賞
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巻第十 物名 463
詞書「桂宮」
秋になると、月の桂は実がなるだろうか、光を花のように散らすだけなのに、と詠む歌である。二句から三句にかけての「かつらのみや」に題の「桂宮」を詠み込んでいる。月には桂の木があるという中国の伝説を踏まえ、月の光を桂の花に見立てている。
作者の「源ほとこす」は源忠である。平安時代前期の官人とみられるが、経歴の詳細は伝わらない。
初句「秋来れば」は、秋が来ると、の意である。
二句「月のかつらの」は、月に生えるという桂の木の、の意で、中国の伝説を踏まえる。
三句「みやはなる」は「実やは生る」で、「やは」は反語を表し、実がなるだろうか、いやならない、の意である。二句と合わせた「かつらのみや」に題の「桂宮」が隠されている。ここで句切れとなる。
四句「光を花と」は、月の光を桂の花に見立てて、の意である。
結句「散らすばかりを」は、散らすだけなのに、の意で、実はならず光の花ばかりを散らすと結ぶ。
つきのかつら:月に生えているという伝説上の桂の木
かつらのみや:「月のかつらのみやはなる」にまたがって詠み込まれた題で、桂宮をいう
- 作者
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源忠
- 出典
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古今和歌集
- 前の歌
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夏草の上は茂れる沼水の ゆくかたのなきわが心かな
- 次の歌
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花ごとに飽かず散らしし風なれば いくそばくわがうしとかは思ふ