秋霧の晴るる時なき心には
立ち居のそらも思ほえなくに
- 歌の意味
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秋霧のように晴れる時のない心では、立っているのか座っているのか、その心地さえもわからないことだ。
- 鑑賞
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巻第十二 恋歌二 580
詞書「題しらず」
秋霧が立ちこめて晴れる時がないように、恋に沈んで晴れることのない心では、立っているのか座っているのかさえわからないほどだと詠む歌である。秋霧の景に閉ざされた心を重ね、日常の動作さえおぼつかなくなるほどの恋の悩みを表している。本巻ではこのあたりから秋の景物を詠み込む歌が続いている。
作者の「凡河内みつね」は凡河内躬恒である。平安時代前期の歌人で、古今和歌集の撰者の一人。甲斐少目、和泉大掾などの地方官を務めたが、歌才は高く評価され、宮廷でしばしば歌を詠んだ。三十六歌仙の一人である。
初句「秋霧の」 秋の霧は晴れにくく立ちこめるものとされ、晴れない心の比喩となる。
二句「晴るる時なき」 霧が晴れる時がないことと、心が晴れる時がないこととを重ねて言う。
三句「心には」 恋に沈んで晴れることのない自分の心を言う。
四句「立ち居のそらも」 「立ち居」は立ったり座ったりする日常の動作である。「そら」は霧の立つ「空」と、心地、気持ちの意とを掛けた掛詞で、霧の縁語ともなる。
結句「思ほえなくに」 「思ほゆ」は自然に思われる意、「なくに」は打消を表し、詠嘆をこめて結ぶ。立ち居の心地さえわからないほどだという嘆きを余韻として残す。前歌の第五百七十九首と同じく「そら」の掛詞を用い、二首が同じ語でつながる。
たちゐ:立ったり座ったりすること、日常の動作
そら:霧の立つ「空」と、心地、気持ちの意を掛ける
おもほゆ:自然に思われる
- 作者
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凡河内躬恒
- 出典
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古今和歌集
- 前の歌
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五月山梢を高みほととぎす 鳴く音そらなる恋もするかな
- 次の歌
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虫のごと声に立てては泣かねども 涙のみこそ下に流るれ