みるめなき我が身をうらと知らねばや
かれなで海人の足たゆく来る
- 歌の意味
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海松布の生えない浦のように、逢う機会などない私だと知らないからだろうか、あの漁師は離れもせず、足がだるくなるほど通ってくる。
- 鑑賞
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巻第十三 恋歌三 623
詞書「題しらず」
逢うつもりのない自分を、海松布の生えない浦にたとえ、それを知らずに足しげく通ってくる男を、海草を刈りに来る漁師に見立てた歌である。掛詞を重ねて男を突き放す、小町らしい機知に富んだ詠みぶりである。
作者の「をののこまち」は小野小町である。出自は明らかでないが、仁明天皇、文徳天皇のころに宮仕えしたとされ、六歌仙、三十六歌仙の一人である。
『伊勢物語』第二十五段では、前歌の業平の歌への返しとして女の歌に置かれ、逢えずに帰る男と、逢うつもりのない女という対の構図になっている。
初句「みるめなき」は、海草の海松布と、逢う機会の見る目を掛けた掛詞である。
二句「我が身をうらと」は、浦と憂らを掛けた掛詞で、わが身をつらい浦に見立てる。「みるめ」「うら」「海人」は海の縁語である。
三句「知らねばや」は、知らないからだろうか、の意で、係助詞「や」が疑問を示し、結句の「来る」で結ぶ。
四句「かれなで海人の」は、離れると刈れを掛けた掛詞で、離れもせずに、の意と、海草を刈ることができないのに、の意を重ねる。
結句「足たゆく来る」は、足がだるくなるほど通ってくる、の意で、「や」を受けて連体形「来る」で結ぶ係り結びである。
みるめ:海草の海松布の意と、逢う機会の意を掛ける
うら:浦の意と、つらいの意の憂らを掛ける
かる:離れる意と、海草を刈る意を掛ける
あま:漁師
たゆし:疲れてだるい
- 作者
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小野小町
- 出典
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古今和歌集
- 前の歌
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秋の野に笹分けし朝の袖よりも 逢はで来し夜ぞひちまさりける
- 次の歌
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逢はずして今宵明けなば春の日の 長くや人をつらしと思はむ