夢にだに見ゆとは見えじ朝な朝な
我が面影に恥づる身なれば
- 歌の意味
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せめて夢の中でさえ、あなたに姿を見せるとは思われまい。毎朝毎朝、鏡に映る自分の顔かたちに恥じ入るわが身なのだから。
- 鑑賞
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巻第十四 恋歌四 681
詞書「題しらず」
恋のやつれで衰えた自分の姿を恥じ、夢の中でさえ相手に見られたくないと詠んだ歌である。夢で逢うことを願う恋歌が多い中で、見られることを拒むという屈折した女心が表されている。
前歌までの「見る」の主題を、見られる側の立場から裏返した一首で、逢うことを求めながらも姿を恥じる心の揺れが示されている。
作者の「伊勢」は、伊勢守藤原継蔭の娘で、宇多天皇の中宮温子に仕えた女房である。宇多天皇の寵愛を受け、のちに敦慶親王との間に中務を生んだ。三十六歌仙の一人である。
初句「夢にだに」の「だに」は、せめて…だけでもの意の副助詞で、現実はもちろん夢でさえの意を含む。
二句「見ゆとは見えじ」は、夢に姿を見せるとは見られまいの意で、打消推量の「じ」で強い意志を示し、ここで句切れとなる。
三句「朝な朝な」は、毎朝毎朝の意で、日ごとの繰り返しを表す。
四句「我が面影に」は、鏡に映る自分の顔かたちをいい、恋にやつれた姿を示している。
結句「恥づる身なれば」は、恥じるわが身であるからの意で、二句の理由を倒置して述べている。
おもかげ:顔かたち、姿。ここでは鏡に映る自分の姿
はづ:恥じる
- 作者
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伊勢
- 出典
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古今和歌集
- 前の歌
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君てへば見まれ見ずまれ富士の嶺の めづらしげなく燃ゆる我が恋
- 次の歌
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石間ゆく水の白波立ち返り かくこそは見めあかずもあるかな