数々に思ひ思はず問ひがたみ
身を知る雨は降りぞまされる
- 歌の意味
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あなたが私をいろいろに思ってくださるのか、思ってくださらないのか、尋ねにくいので、わが身の程を思い知らせる雨がいっそう激しく降りまさっていることだ。
- 鑑賞
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巻第十四 恋歌四 705
詞書「藤原敏行朝臣の、業平朝臣の家なりける女をあひ知りて文遣はせりける言葉に、今まうで来、雨の降りけるをなむ見わづらひ侍ると言へりけるを聞きて、かの女に代はりてよめりける」
藤原敏行が業平の家にいた女のもとに、今すぐ行くつもりだが雨が降るので困っていると言ってよこしたのに対し、業平が女に代わって詠んだ歌である。雨を口実に訪れを渋る男に対し、わが身の程を思い知らせるように雨が降りまさっていると、涙の雨を重ねて恨みを返している。
同じ話は伊勢物語の第百七段にも見え、この歌を受け取った敏行は、蓑も笠も取りあえず、ずぶ濡れになって女のもとへ駆けつけたと語られている。「身を知る雨」の語は、後の和歌にも好んで用いられた。
作者の「在原業平朝臣」は、平城天皇の皇子阿保親王の五男で、母は桓武天皇の皇女伊都内親王である。右近衛権中将などを務め、六歌仙、三十六歌仙の一人に数えられ、伊勢物語の主人公に擬されている。
初句「数々に」は、あれこれといろいろにの意で、相手が自分をどれほど思っているかを示す。
二句「思ひ思はず」は、思ってくれているのか思ってくれていないのかの意で、相手の心をはかりかねる気持ちを表す。
三句「問ひがたみ」は、尋ねにくいのでの意で、形容詞「問ひがたし」の語幹に原因を表す接尾語「み」が付いた形である。ここで句切れとなる。
四句「身を知る雨は」は、わが身の程を思い知らせる雨の意で、女の涙を雨に重ねている。
結句「降りぞまされる」は、ますます激しく降っていることだの意で、係助詞「ぞ」を存続の「り」の連体形「る」で結ぶ係り結びである。
みをしる:自分の身の程を思い知る
とふ:尋ねる
まさる:程度が増す
- 作者
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在原業平
- 出典
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古今和歌集
- 前の歌
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里人の言は夏野の繁くとも かれゆく君に逢はざらめやは
- 次の歌
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大幣の引く手あまたになりぬれば 思へどえこそ頼まざりけれ