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底ひなき淵やは騒ぐ山川の
浅き瀬にこそあだ波は立て

歌の意味
底の知れない深い淵が騒ぎ立つことがあろうか。山川の浅い瀬にこそ、むやみな波は立つのだ。
鑑賞
巻第十四 恋歌四 722

詞書「題しらず」
 深い淵は波立たず、浅い瀬にこそ騒がしい波が立つように、思いの深い者は軽々しく騒ぎ立てず、心の浅い者ほど騒ぎ立てるのだと詠んだ歌である。自分の恋心の深さを、静かな淵の姿にたとえて示している。
 前の二首の川のよどみと流れの歌に続き、淵と瀬によって心の深浅を対比している。本巻の第六百八十七首の「淵は瀬になる」とも、淵と瀬を並べる趣向で響き合う。
 作者の「そせい法し」は素性である。僧正遍昭の子で、俗名を良岑玄利といい、出家後は雲林院や石上の良因院に住んだ。三十六歌仙の一人である。

 初句「底ひなき」は、底が知れないほど深いの意で、深い思いをたとえている。
 二句「淵やは騒ぐ」は、淵が騒ぐだろうか、いや騒がないの意で、反語の「やは」を用い、ここで句切れとなる。
 三句「山川の」は、山の中を流れる川で、流れが速く浅瀬の多いものとして示される。
 四句「浅き瀬にこそ」は、浅い瀬にこその意で、係助詞「こそ」が結句の「立て」と係り結びをなし、浅い心をたとえている。
 結句「あだ波は立て」は、むやみに騒ぐ波は立つのだの意で、「こそ」を受けて「立つ」の已然形「立て」で結ぶ。

そこひ:底、果て
ふち:川の水が深くよどんでいる所
あだなみ:むやみに立ち騒ぐ波
作者
素性
出典
古今和歌集
前の歌
淀川のよどむと人は見るらめど 流れて深き心あるものを
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紅の初花染めの色深く 思ひし心我忘れめや