雲もなく凪ぎたる朝の我なれや
いとはれてのみ世をば経ぬらむ
- 歌の意味
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雲もなく風も凪いだ朝のような私なのだろうか。朝がいかにも晴れているように、私はあの人に厭われてばかりで、この世を過ごしてきたのだろう。
- 鑑賞
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巻第十五 恋歌五 753
詞書「題しらず」
雲ひとつなく凪いだ朝の空を「いと晴れ」と言い、それを「厭はれ」に掛けて、自分は厭われてばかりの身だと嘆く歌である。明るく穏やかな景色から暗い嘆きを引き出す、機知に富んだ掛詞の趣向が見どころである。
作者の「きのとものり」は紀友則である。紀有朋の子で、紀貫之の従兄にあたる。大内記に至り、古今和歌集の撰者に任じられたが、完成を見ずに没したとされる。三十六歌仙の一人である。
初句「雲もなく」は、雲ひとつない空をいい、結句までの晴れた朝の景を形づくる。
二句「凪ぎたる朝の」は、風が止んで穏やかになった朝の意で、初句とあわせて「いと晴れ」た朝を導く。
三句「我なれや」は、「なれや」が断定の「なり」の已然形に疑問の「や」が付いた形で、私はそういう朝なのだろうかと問う。ここで句切れとなる。
四句「いとはれてのみ」は、「いとはれ」に、朝の空が「いと晴れ」ている意と、人に「厭はれ」る意を掛けた掛詞である。「のみ」はばかりの意を添える。
結句「世をば経ぬらむ」は、「世」は男女の仲、または世の中をいい、「経ぬらむ」は過ごしてきたのだろうという推量である。
なぐ:風や波がおさまって穏やかになる
いとはる:空が「いと晴る」意と、人に「厭はる」意を掛ける
ふ:時を過ごす
- 作者
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紀友則
- 出典
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古今和歌集
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見てもまたまたも見まくのほしければ 馴るるを人はいとふべらなり
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花がたみめならぶ人のあまたあれば 忘られぬらむ数ならぬ身は