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住の江のまつほど久になりぬれば
葦鶴の音になかぬ日はなし

歌の意味
住の江の松のように、待つ時間がすっかり長くなってしまったので、葦辺の鶴が鳴くように、声をあげて泣かない日はない。
鑑賞
巻第十五 恋歌五 779

詞書「題しらず」
 住の江の松のように長く待ち続けたので、葦辺の鶴のように声をあげて泣かない日はないと詠む歌である。前歌と同じく住の江の松に「待つ」を掛け、さらに水辺の鶴の声を加えて、住の江の景の中に待つ嘆きを描いている。
 作者の「かねみのおほきみ」は兼覧王である。惟喬親王の子で、文徳天皇の孫にあたる。山城守、神祇伯、宮内卿などを歴任し、正四位下に至った。

 初句「住の江の」は、前歌の三句と同じ住の江で、松の名所である。
 二句「まつほど久に」は、「まつ」に「松」と「待つ」を掛け、待つ時間が松の齢ほど長くなったことをいう。「久に」は前歌の「久しくも」と響き合う。
 三句「なりぬれば」は、「ぬれば」が完了の已然形に「ば」が付いた確定条件で、なってしまったのでの意となる。
 四句「葦鶴の音に」は、葦の生える水辺にいる鶴の声で、住の江の景物である。字余りの句である。
 結句「なかぬ日はなし」は、「なか」に鶴が「鳴か」と自分が「泣か」を掛ける。泣かない日はないと強く言い切って結ぶ。

まつ:住の江の「松」と、人を「待つ」を掛ける
あしたづ:葦の生える水辺にいる鶴
なく:鶴が「鳴く」意と、人が「泣く」意を掛ける
作者
兼覧王
出典
古今和歌集
前の歌
久しくもなりにけるかな住の江の まつは苦しきものにぞありける
次の歌
三輪の山いかに待ち見む年経とも 尋ぬる人もあらじと思へば