三輪の山いかに待ち見む年経とも
尋ぬる人もあらじと思へば
- 歌の意味
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三輪の山で、どのように待っていればよいのだろう。何年経っても、私を訪ねてくる人などいないだろうと思うので。
- 鑑賞
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巻第十五 恋歌五 780
詞書「仲平朝臣あひ知りて侍りけるを、離れ方になりにければ、父が大和守に侍りけるもとへまかるとて、よみてつかはしける」
藤原仲平との仲が疎遠になり、大和守であった父のもとへ下る際に仲平へ贈った歌である。大和の三輪山で待っていても、何年経とうと訪ねてくれる人はいないだろうと、別れを前にした諦めと恨みを込めている。
巻第十八の第九百八十二首「わが庵は三輪の山もと恋しくはとぶらひ来ませ杉立てる門」を踏まえ、恋しければ訪ねて来いと誘う本歌に対して、訪ねる人などいないと反転させている。『伊勢集』の冒頭にもこの恋の経緯が物語風に記されている。
作者の伊勢は、伊勢守藤原継蔭の娘で、宇多天皇の中宮温子に仕えた。宇多天皇の寵を受けて皇子を産み、のちに敦慶親王との間に中務を産んだ。三十六歌仙の一人で、古今和歌集の女性歌人として最も多くの歌が採られている。
初句「三輪の山」は、大和国の三輪山で、父の任国である大和を示す。本歌の「三輪の山もと」を踏まえ、恋人の訪れを待つ場所として示される。
二句「いかに待ち見む」は、「いかに」がどのようにの意、「待ち見む」は待ってみようの意で、どう待てばよいのかと途方に暮れる気持ちを表す。ここで句切れとなる。
三句「年経とも」は、「とも」が逆接の仮定条件で、たとえ年月が経ってもの意となる。
四句「尋ぬる人も」は、訪ねてくる人の意で、本歌の「とぶらひ来ませ」に応じる。仲平を暗に指している。
結句「あらじと思へば」は、「じ」が打消推量で、訪ねる人もいないだろうと思うのでと、二句の理由を倒置で示す。
みわのやま:大和国の三輪山で、麓に大神神社がある
かれがた:男女の仲が疎遠になりかけること
まかる:都から地方へ下る
- 作者
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伊勢
- 出典
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古今和歌集
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住の江のまつほど久になりぬれば 葦鶴の音になかぬ日はなし
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吹きまよふ野風を寒み秋萩の 移りもゆくか人の心の