天雲のよそにも人のなりゆくか
さすがに目には見ゆるものから
- 歌の意味
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空の雲のように、あの人は遠いよそよそしい人になっていくのだろうか。そうはいっても、姿は目に見えているのに。
- 鑑賞
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巻第十五 恋歌五 784
詞書「業平朝臣、紀有常が女に住みけるを、恨むることありて、しばしの間、昼は来て夕さりは帰りのみしければ、よみてつかはしける」
在原業平が妻である紀有常の娘のもとに通っていたが、恨むことがあって、しばらく昼は来ても夕方には帰ってしまうので、妻が詠んで贈った歌である。昼間に姿は見えるのに夜を共に過ごさない夫を、目には見えても手の届かない空の雲にたとえ、心が離れていく寂しさを訴えている。次歌は業平の返歌である。
この贈答は『伊勢物語』第十九段にも、宮仕えの女と男との話として見える。
作者の「きのありつねかむすめ」は紀有常女である。紀名虎の子である紀有常の娘で、在原業平の妻となった。
初句「天雲の」は、空の雲で、遠く手の届かないもの、目には見えるものとして二句の「よそ」を導く。
二句「よそにも人の」は、「よそ」が無関係な遠い所の意で、夫が他人のようになっていくことを示す。
三句「なりゆくか」は、「か」が詠嘆を含む疑問で、なっていくのだろうかの意となる。ここで句切れとなる。
四句「さすがに目には」は、「さすがに」がそうはいってもやはりの意で、昼間に来て姿を見せることをいう。
結句「見ゆるものから」は、「ものから」が逆接で、見えているのにの意となり、言いさしの形で結ぶ。雲が目に見えても届かないことと重なる。
あまぐも:空の雲
すむ:男が女のもとに通って夫婦として暮らす
ゆふさり:夕方
- 作者
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紀有常女
- 出典
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古今和歌集
- 前の歌
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人を思ふ心の木の葉にあらばこそ 風のまにまに散り乱れめ
- 次の歌
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行き帰り空にのみして経ることは 我がゐる山の風はやみなり