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行き帰り空にのみして経ることは
我がゐる山の風はやみなり

歌の意味
雲が行き来するばかりで空にさまよって日を過ごしているのは、私が落ち着こうとする山の風が激しいからだ。あなたの態度がきびしいので、とどまることができないのだ。
鑑賞
巻第十五 恋歌五 785

詞書「返し」
 前歌の紀有常女の歌に対する在原業平の返歌である。妻が自分を天雲にたとえたのを受け、雲が山にとどまれず空を行き来するのは山の風が激しいからだと切り返し、夜にとどまらないのはあなたの態度が厳しいからだと応じている。比喩をそのまま引き取り、非を相手に返す機知の歌である。
 この贈答は『伊勢物語』第十九段にも、返歌の上の句を「天雲のよそにのみして」とする形で見える。
 作者の在原業平は、平城天皇の皇子阿保親王の五男で、母は桓武天皇の皇女伊都内親王である。在原の姓を賜って臣籍に下り、右近衛権中将に至った。六歌仙、三十六歌仙の一人である。

 初句「行き帰り」は、行ったり帰ったりすることで、雲の動きと、昼に来て夜に帰る自分の行動を重ねる。
 二句「空にのみして」は、空にばかりいての意で、前歌の「天雲」を受けて自分を雲に見立てる。
 三句「経ることは」は、「経る」が時を過ごす意で、そうして日を送っていることはの意となる。
 四句「我がゐる山の」は、私がとどまろうとする山の意で、妻のもとを山にたとえる。
 結句「風はやみなり」は、「はやみ」が「速し」の語幹に原因を表す「み」が付いた形で、風が激しいからの意となる。妻の態度の厳しさを風にたとえ、「なり」で断定して結ぶ。

ふ:時を過ごす
ゐる:とどまる、落ち着く
作者
在原業平
出典
古今和歌集
前の歌
天雲のよそにも人のなりゆくか さすがに目には見ゆるものから
次の歌
唐衣なれば身にこそまつはれめ かけてのみやは恋ひむと思ひし