時過ぎてかれゆく小野の浅茅には
今はおもひぞ絶えず燃えける
- 歌の意味
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盛りの時期が過ぎて枯れていく小野の浅茅には、今は野火が絶えず燃えている。そのように、あの人が離れていく今となって、私の胸には思いの火が絶えず燃えている。
- 鑑賞
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巻第十五 恋歌五 790
詞書「あひ知れりける人のやうやく離れ方になりける間に、焼けたる茅の葉に文をさしてつかはせりける」
親しかった人がしだいに離れていく頃に、焼けた茅の葉に手紙を挿して贈った歌である。枯れた野の浅茅が野火で燃えるさまに、疎遠になっていく今こそ燃え上がる恋の思いを重ねている。焼けた茅の葉という贈り物そのものが歌の内容と呼応しており、趣向を凝らした贈答である。
作者の「こまちかあね」は小町姉である。小野小町の姉とされるが、伝は詳らかでない。
初句「時過ぎて」は、盛りの時が過ぎての意で、恋の盛りが過ぎたことを重ねる。
二句「かれゆく小野の」は、「かれ」に草が「枯れ」る意と、人が「離れ」る意を掛けた掛詞である。「小野」は野の意で、小野小町の姉である作者の姓を響かせるとも解される。
三句「浅茅には」は、丈の低い茅で、荒れた野の景物である。
四句「今はおもひぞ」は、「おもひ」に「思ひ」と「火」を掛けた掛詞で、係助詞「ぞ」を結句の「ける」で結ぶ。
結句「絶えず燃えける」は、「燃え」が「火」の縁語で、絶えることなく燃えているとして、離れていく相手への思いの激しさを示す。
かる:草が「枯る」意と、人が「離る」意を掛ける
あさぢ:丈の低い茅
おもひ:「思ひ」の意と、その中の「火」を掛ける
かれがた:男女の仲が疎遠になりかけること
- 作者
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小町姉
- 出典
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古今和歌集
- 前の歌
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死出の山麓を見てぞ帰りにし つらき人よりまづ越えじとて
- 次の歌
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冬枯れの野辺と我が身を思ひせば もえても春を待たましものを