冬枯れの野辺と我が身を思ひせば
もえても春を待たましものを
- 歌の意味
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わが身を冬枯れの野辺だと思うことができるなら、たとえ焼かれて燃えても、また芽が萌え出る春を待つことができるだろうに。
- 鑑賞
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巻第十五 恋歌五 791
詞書「物思ひけるころ、ものへまかりける道に、野火の燃えけるを見てよめる」
恋の物思いに沈んでいた頃、出かけた道で野焼きの火が燃えているのを見て詠んだ歌である。焼かれた野は春になれば再び芽吹くが、思いに身を焦がす自分には再び芽吹く春はないと、野辺と我が身を対比させている。前歌の燃える浅茅に続き、野を焼く火に恋の思いを重ねる歌が並ぶ。
作者の伊勢は、伊勢守藤原継蔭の娘で、宇多天皇の中宮温子に仕えた。宇多天皇の寵を受けて皇子を産み、のちに敦慶親王との間に中務を産んだ。三十六歌仙の一人で、古今和歌集の女性歌人として最も多くの歌が採られている。
初句「冬枯れの」は、冬に草木が枯れることで、野焼きの行われる早春前の枯れ野をいう。
二句「野辺と我が身を」は、野辺と我が身とを重ね合わせる語で、三句へ続く。
三句「思ひせば」は、「せば」が過去の「き」の未然形に「ば」が付いた反実仮想の条件で、結句の「まし」と呼応する。
四句「もえても春を」は、「もえ」に野火で「燃え」る意と、草木が「萌え」出る意を掛けた掛詞である。
結句「待たましものを」は、「まし」が反実仮想、「ものを」は逆接の詠嘆で、春を待てただろうにの意となる。実際には自分に春はないという嘆きがこもる。
のび:早春に枯れ草を焼く野焼きの火
もゆ:火が「燃ゆ」意と、草木が芽を出す意の「萌ゆ」を掛ける
- 作者
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伊勢
- 出典
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古今和歌集
- 前の歌
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時過ぎてかれゆく小野の浅茅には 今はおもひぞ絶えず燃えける
- 次の歌
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水の泡の消えてうき身と言ひながら 流れてなほも頼まるるかな