- 歌の意味
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忘れ草は何を種として生えるのかと思っていたが、それは冷淡な人の心であったのだ。
- 鑑賞
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巻第十五 恋歌五 802
詞書「寛平御時御屏風に歌かかせ給ひける時、よみて書きける」
宇多天皇の寛平年間に、屏風に歌を書かせなさった折に詠んで書いた歌である。忘れ草が何から生えるのか不思議に思っていたが、その種は冷淡な人の心だったと気づくという趣向で、屏風絵の忘れ草から恋の嘆きを引き出している。前歌が相手の心に生えた忘れ草を霜で枯らそうとしたのに対し、この歌は忘れ草の種そのものを相手の心に見いだし、二首で対をなす。
作者の「そせい法し」は素性法師である。遍昭の出家前の子で、俗名を良岑玄利という。父の勧めで出家し、雲林院に住んだのち大和の良因院に移った。三十六歌仙の一人である。
初句「忘れ草」は、前歌の初句と同じ忘れ草で、屏風絵に描かれていたものと考えられる。
二句「何をか種と」は、「か」が疑問の係助詞で、何を種としてと問う。三句の連体形「し」で結ぶ。
三句「思ひしは」は、「し」が過去の助動詞「き」の連体形で、思っていたのはの意となる。
四句「つれなき人の」は、冷淡な人の意で、前歌の三句「つれもなき」と対応する。
結句「心なりけり」は、「なりけり」が気づきの詠嘆で、忘れ草の種は冷淡な人の心であったと明かす。
わすれぐさ:萱草のことで、身につけると憂いを忘れるとされた草
びやうぶ:室内の仕切りや装飾に用いる折りたたみ式の家具で、絵や歌が描かれた
- 作者
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素性法師
- 出典
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古今和歌集
- 前の歌
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忘れ草かれもやするとつれもなき 人の心に霜は置かなむ
- 次の歌
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秋の田のいねてふこともかけなくに 何を憂しとか人のかるらむ