逢ふことをながらの橋のながらへて
恋ひ渡る間に年ぞ経にける
- 歌の意味
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逢うこともないままで、長柄の橋のように長らえて、恋い続けている間に、年月が過ぎてしまった。
- 鑑賞
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巻第十五 恋歌五 826
詞書「題しらず」
逢うこともないまま、古くから長く続く長柄の橋のように生きながらえて、恋い続けるうちに年月が過ぎたと詠む歌である。「ながら」の音を重ねて調べを整え、橋を「渡る」ように恋い続ける長い時間を描いている。前歌と同じく橋を詠み、結句「年ぞ経にける」を共有して対をなす。
作者の「坂上これのり」は坂上是則である。右馬頭坂上好蔭の子で、坂上田村麻呂の子孫とされる。大和権少掾、少内記、大内記などを経て、従五位下加賀介に至った。三十六歌仙の一人である。
初句「逢ふことを」は、逢うことをの意で、二句の「ながら」に続き、逢うことが無いままの意を導く。
二句「ながらの橋の」は、「ながら」に摂津国の長柄の橋と、逢うことが「無から」の意を掛けた掛詞である。長柄の橋は古くから長く続くものとして詠まれた。
三句「ながらへて」は、生きながらえての意で、二句の「ながら」と同音を重ねる。
四句「恋ひ渡る間に」は、恋い続ける間にの意で、「渡る」が続ける意と、橋を渡る意を重ね、「橋」の縁語となる。
結句「年ぞ経にける」は、前歌の結句と同じ句で、係助詞「ぞ」を「けり」の連体形で結び、年月の経過を嘆く。
ながら:摂津国の「長柄」と、逢うことが「無から」の意を掛ける
ながらふ:生きながらえる
こひわたる:恋い続ける
- 作者
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坂上是則
- 出典
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古今和歌集
- 前の歌
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忘らるる身をうぢ橋のなか絶えて 人も通はぬ年ぞ経にける
- 次の歌
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うきながら消ぬる泡ともなりななむ 流れてとだに頼まれぬ身は