- 歌の意味
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深草の野辺の桜よ、もしお前に心があるならば、せめて今年だけは墨染の色に咲いてくれ。
- 鑑賞
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巻第十六 哀傷歌 832
詞書は前の歌に続き「堀河太政大臣身まかりにける時に、深草の山にをさめてける後によみける」
藤原基経を深草に葬った後の歌である。華やかに咲く桜に向かって、心があるなら今年だけは喪の色である墨染に咲いてほしいと呼びかけている。故人を悼む心を自然にまで求めた歌で、古今集の哀傷歌の中でも広く知られる。
この歌にちなみ、京都の深草には墨染の地名が残り、薄墨色の花が咲くようになったという墨染桜の伝説が生まれた。
作者の「かむつけのみねを」は上野岑雄である。伝は詳らかでなく、古今集にはこの一首のみが入る。
初句「深草の」は葬送の地の名で、前歌の四句「深草の山」を受けて、二首を同じ地名で結んでいる。
二句「野辺の桜し」の「し」は強意の副助詞で、桜を取り立てて呼びかけている。「野辺」には葬送の場の意も重なる。
三句「心あらば」は、心があるならばという仮定である。桜を擬人化している。
四句「今年ばかりは」の「ばかり」は限定を表し、せめて今年だけは、の意である。
結句「墨染に咲け」の「墨染」は、喪服の黒く染めた色である。「咲け」は命令形で、桜に強く求めている。前歌の結句「煙だに立て」と同じく命令形で結び、二首が呼応する。
のべ:野原。また、葬送の場所
すみぞめ:墨で染めたような黒い色。喪服の色
- 作者
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上野岑雄
- 出典
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古今和歌集
- 前の歌
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空蝉はからを見つつも慰めつ 深草の山煙だに立て
- 次の歌
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寝ても見ゆ寝でも見えけり大方は 空蝉の世ぞ夢にはありける