寝ても見ゆ寝でも見えけり大方は
空蝉の世ぞ夢にはありける
- 歌の意味
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眠っていても故人の姿が見える。眠らずにいても見えるのだった。つまりは、この世そのものが夢であったのだなあ。
- 鑑賞
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巻第十六 哀傷歌 833
詞書「藤原敏行朝臣の身まかりにける時によみて、かの家につかはしける」
藤原敏行が亡くなったときに詠み、その家に贈った歌である。眠っていても起きていても故人の姿が見えることから、夢と現実の区別がつかず、この世そのものが夢なのだと悟る。故人への思いの深さを、夢とうつつの逆転によって表している。
ここから本巻の第八百三十五首まで、夢とうつつを主題とする歌が続く。
作者の「きのとものり」は紀友則である。紀貫之の従兄で、古今集の撰者の一人であったが、完成を待たずに没した。三十六歌仙の一人である。
初句「寝ても見ゆ」は、眠っていても故人の姿が見える、の意である。初句切れとなる。
二句「寝でも見えけり」の「で」は打消の接続助詞で、眠らずにいても、の意である。初句と対になり、寝ても寝なくても見えると重ねている。「けり」は気づきの詠嘆である。
三句「大方は」は、要するに、総じて、の意である。
四句「空蝉の世ぞ」は、はかないこの世の意で、係助詞「ぞ」によって強調する。
結句「夢にはありける」は、係助詞「ぞ」を受けて連体形「ける」で結ぶ。夢と現実が逆転する発想は、次歌、次々歌にも受け継がれる。
つかはす:贈る、届けさせる
うつせみのよ:はかないこの世、現世
- 作者
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紀友則
- 出典
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古今和歌集
- 前の歌
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深草の野辺の桜し心あらば 今年ばかりは墨染に咲け
- 次の歌
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夢とこそ言ふべかりけれ世の中に うつつあるものと思ひけるかな