先立たぬ悔いの八千度悲しきは
流るる水の帰り来ぬなり
- 歌の意味
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後悔は先に立たないもので、その悔いが幾千度も悲しいのは、流れる水が帰ってこないように、亡き人が戻ってこないからである。
- 鑑賞
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巻第十六 哀傷歌 837
詞書「藤原忠房が昔あひ知りて侍りける人の身まかりにける時に、とぶらひにつかはすとてよめる」
藤原忠房がかつて親しくしていた人が亡くなったとき、弔問として贈った歌である。生前にしておくべきだったことへの悔いは先に立たず、何度悔やんでも悲しいのは、流れる水のように故人が帰ってこないからだと詠む。忠房の悲しみに寄り添いながら、取り返しのつかない死を嘆いている。
詞書の藤原忠房は平安時代前期の官人で、歌人、また楽人としても知られた人物である。
作者は閑院と呼ばれた人物で、女性と考えられているが、伝は詳らかでない。
初句「先立たぬ」は、「悔い先に立たず」ということわざを踏まえた表現である。
二句「悔いの八千度」の「八千度」は、数限りなく何度も、の意である。
三句「悲しきは」は、悲しいのは、と理由を問いかける形で、以下に答えを導く。
四句「流るる水の」は、流れ去った水を故人のたとえとする。本巻の第八百二十九首、第八百三十六首に続き、ここでも死別が川の水に託されている。
結句「帰り来ぬなり」は、帰ってこないからである、と理由を示して結ぶ。「なり」は断定の助動詞である。
とぶらふ:見舞う、弔問する
やちたび:何千回、数限りなく何度も
- 作者
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閑院
- 出典
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古今和歌集
- 前の歌
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瀬をせけば淵となりても淀みけり 別れを止むるしがらみぞなき
- 次の歌
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明日知らぬ我が身と思へど暮れぬ間の 今日は人こそ悲しかりけれ