明日知らぬ我が身と思へど暮れぬ間の
今日は人こそ悲しかりけれ
- 歌の意味
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明日の命もわからない我が身だと思うけれども、日が暮れないうちの今日のところは、亡くなった人のことがただ悲しいのだ。
- 鑑賞
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巻第十六 哀傷歌 838
詞書「紀友則が身まかりにける時よめる」
従兄で、ともに古今集を撰進していた紀友則の死に際して詠んだ歌である。自分もいつ死ぬかわからない身であるとわかってはいても、生きている今日という日は、先立った友則のことがただ悲しいと述べる。無常を知る理と、悲しみを抑えられない情とが率直に並べられている。
次歌も友則の死を悼む歌で、同じ詞書のもとに撰者二人の歌が並ぶ。
作者の「つらゆき」は紀貫之である。古今集の撰者の中心人物で、仮名序を執筆した。三十六歌仙の一人である。
初句「明日知らぬ」は、明日の命もわからない、の意で、人の命の無常をいう。
二句「我が身と思へど」の「ど」は逆接で、そう思うけれども、の意である。
三句「暮れぬ間の」は、日が暮れない間の、の意で、生きている限りの時間をたとえる。「ぬ」は打消である。
四句「今日は人こそ」の「人」は亡くなった友則を指す。初句の「明日」と対になり、今日を強調する。
結句「悲しかりけれ」は、係助詞「こそ」を受けて已然形「けれ」で結ぶ。
くる:日が暮れる
- 作者
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紀貫之
- 出典
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古今和歌集
- 前の歌
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先立たぬ悔いの八千度悲しきは 流るる水の帰り来ぬなり
- 次の歌
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時しもあれ秋やは人の別るべき あるを見るだに恋しきものを