かりそめの行き交ひ路とぞ思ひ来し
今は限りの門出なりけり
- 歌の意味
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ほんのひとときの往来の旅路だと思ってやってきたが、今はこれが最後の門出であったのだ。
- 鑑賞
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巻第十六 哀傷歌 862
詞書「甲斐の国にあひ知りて侍りける人とぶらはむとてまかりけるを、道中にてにはかに病をして、今々となりにければ、よみて京にもてまかりて母に見せよと言ひて、人につけ侍りける歌」
甲斐の国の知人を訪ねようと出かけた作者が、道中で急に病になり、今にも死にそうになったので、この歌を詠んで、都へ持ち帰って母に見せてくれと人に託したという。ほんの一時の往き来の旅と思って出てきたが、それが最後の門出になってしまったと詠む。母への思いと、突然の死への無念がにじむ歌で、哀傷歌の巻を締めくくっている。
前歌の業平の辞世に続き、その子である作者の辞世が巻末に置かれ、父子の歌が並んで巻を結ぶ。
作者の「在原しけはる」は在原滋春である。在原業平の次男で、歌人として知られる。
初句「かりそめの」は、ほんの一時の、の意である。
二句「行き交ひ路とぞ」は、行って帰る往来の道、の意で、係助詞「ぞ」で強調する。
三句「思ひ来し」は、係助詞「ぞ」を受けて連体形「し」で結ぶ。思ってやってきた、の意で、三句切れである。
四句「今は限りの」は、今はもう最後の、の意である。
結句「門出なりけり」は、門出であったのだ、と気づきを表す。本巻の巻頭の第八百二十九首が死者の帰りを願う歌であったのに対し、巻末のこの歌は帰ることのない旅立ちを詠み、巻頭と巻末が呼応している。
とぶらふ:訪問する、見舞う
いまいま:今にも死にそうな状態
ゆきかひぢ:行き来する道、往来の道
かどで:旅立ち、出発
- 作者
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在原滋春
- 出典
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古今和歌集
- 前の歌
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つひに行く道とはかねて聞きしかど 昨日今日とは思はざりしを
- 次の歌
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我が上に露ぞ置くなる天の河 門渡る舟のかいのしづくか