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紫の一本ゆゑに武蔵野の
草はみながらあはれとぞ見る

歌の意味
紫草がただ一本生えているために、武蔵野の草はすべていとしいものと見ることだ。
鑑賞
巻第十七 雑歌上 867

詞書「題しらず」
 武蔵野に生える一本の紫草のために、野のすべての草をいとしく思うと詠む歌である。愛する一人がいるために、その人に縁のある者すべてが慕わしく思われる心を喩えたものと解される。
 この歌から、愛する人に縁のあるものを「紫のゆかり」と呼ぶ言い方が生まれた。『源氏物語』で藤壺にゆかりのある紫の上を「紫のゆかり」とするのもこの歌に基づく。作者は未詳である。

 初句「紫の」は、根から紫色の染料をとる紫草のことである。次歌の第八百六十八首も「紫の」で始まり、二首は同じ初句で連なる。
 二句「一本ゆゑに」は、ただ一株のためにの意で、愛する一人を喩える。
 三句「武蔵野の」は、紫草の産地として知られた武蔵国の広大な野をいう。
 四句「草はみながら」の「ながら」は、すべてそのままの意で、野の草全体を指す。
 結句「あはれとぞ見る」は「ぞ」を受けて連体形「見る」で結ぶ係り結びである。本巻の第八百七十三首の結句「あはれと思はむ」とも、すべてをいとしく思う心で響き合う。

ひともと:一株
むさしの:武蔵国の広い野、紫草の産地
作者
よみ人しらず
出典
古今和歌集
前の歌
限りなき君がためにと折る花は 時しも分かぬ物にぞありける
次の歌
紫の色濃き時はめもはるに 野なる草木ぞ分かれざりける