我見ても久しくなりぬ住の江の
岸の姫松いく世経ぬらむ
- 歌の意味
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私が見るようになってからでさえ久しくなった。住の江の岸の姫松は、いったいどれほどの世を経てきたのだろうか。
- 鑑賞
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巻第十七 雑歌上 905
詞書「題しらず」
住の江の岸に生える松を見て、自分が見始めてからでさえ長い時が経ったのに、この松はどれほどの年代を経てきたのだろうと思いやる歌である。人の一生を超えて生き続ける松の長寿に対する感慨が詠まれている。作者は未詳である。
この歌は『伊勢物語』第百十七段にも見え、帝が住吉に行幸した折の歌とされる。
初句「我見ても」は、自分が見るようになってからでさえの意で、人の一生の尺度を示す。
二句「久しくなりぬ」は、完了の「ぬ」で言い切る二句切れである。
三句「住の江の」は、摂津国の住吉の入り江を指す。
四句「岸の姫松」の「姫松」は、小さく美しい松の意である。次歌の第九百六首も「岸のひめ松」を詠み、二首が同じ語句で並ぶ。
結句「いく世経ぬらむ」は、現在推量の「らむ」で、人の一生を超えた松の長い歳月を思いやる。人の年月と松の歳月という、同じ主題を別の尺度で扱う構成である。
ひめまつ:小さく美しい松
すみのえ:摂津国の住吉の入り江、住の江
- 作者
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よみ人しらず
- 出典
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古今和歌集
- 前の歌
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ちはやぶる宇治の橋守なれをしぞ あはれとは思ふ年の経ぬれば
- 次の歌
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住吉の岸の姫松人ならば いく世か経しと問はましものを