古典和歌stream

難波潟生ふる玉藻をかりそめの
海人とぞ我はなりぬべらなる

歌の意味
難波潟に生える美しい藻を刈る、かりそめの海人に私はなってしまいそうだ。
鑑賞
巻第十七 雑歌上 916

詞書「難波にまかれりける時詠める」
 難波に出かけた時に詠んだ歌である。難波潟の美しい藻の景色に心ひかれ、その藻を刈る漁師に、ほんのひととき自分もなってしまいそうだと、旅先の風光への感興を詠んでいる。
 作者の「つらゆき」は紀貫之である。紀望行の子で、『古今和歌集』の撰者の中心となり、仮名序を著した。三十六歌仙の一人である。

 初句「難波潟」は、本巻の第九百十三首と同じ初句で、摂津国難波の干潟を指す。
 二句「生ふる玉藻を」は、生えている美しい藻をいう。「玉」は美称である。
 三句「かりそめの」は、藻を「刈り」と、一時的な意の「かりそめ」を掛けた掛詞である。
 四句「海人とぞ我は」は、係助詞「ぞ」を用いて漁師になることを強調し、結句にかかる。
 結句「なりぬべらなる」は、「ぞ」を受けて「べらなり」の連体形「べらなる」で結ぶ係り結びで、なってしまいそうだの意となる。

かりそめ:藻を刈るの意と、一時的の意を掛ける
たまも:美しい藻
あま:漁師、海人
作者
紀貫之
出典
古今和歌集
前の歌
沖つ波たかしの浜の浜松の 名にこそ君を待ちわたりつれ
次の歌
すみよしと海人は告ぐとも長居すな 人忘れ草生ふといふなり