主なくてさらせる布を七夕に
我が心とや今日は貸さまし
- 歌の意味
-
持ち主もいないままさらしてある布を、七夕の織女に、私の心づくしとして今日は貸してあげようか。
- 鑑賞
-
巻第十七 雑歌上 927
詞書「朱雀院の帝布引の滝御覧ぜむとて文月の七日の日おはしましてありける時に、さぶらふ人々に歌詠ませたまひけるに詠める」
朱雀院の帝が布引の滝を見物しようと七月七日に出かけた時、供の人々に歌を詠ませた際の歌である。持ち主のいないままさらされている布、すなわち滝を、七夕の日にちなんで織女に自分の心として貸そうかと詠み、滝の見立てと七夕の趣向を結びつけている。
作者の「たちはなのなかもり」は橘長盛である。平安時代前期の官人であるが、伝は詳らかでない。
詞書の「朱雀院の帝」は、譲位後に朱雀院に住んだ宇多上皇を指すと考えられる。
初句「主なくて」は、持ち主がいなくての意で、滝を誰のものでもない布に見立てる。本巻の第九百二十四首の「取る人もなき」と同じ発想である。
二句「さらせる布を」は、存続の「り」の連体形を用い、さらしてある布の意となる。
三句「七夕に」は、七夕の織女を指す。布を織る女神に布を貸すという趣向で、巻頭の第八百六十三首の七夕の歌と呼応する。
四句「我が心とや」は、自分の心ざしとしての意で、疑問の「や」が結句と係り結びをなす。
結句「今日は貸さまし」は、ためらいの意志を表す「まし」の連体形で結び、今日は貸してあげようかの意となる。七夕に衣や布を供える風習を踏まえている。
たなばた:七夕の織女、たなばたつめ
ふみづき:陰暦七月、文月
- 作者
-
橘長盛
- 出典
-
古今和歌集
- 前の歌
-
裁ち縫はぬ衣着し人もなきものを なに山姫の布さらすらむ
- 次の歌
-
落ちたぎつ滝の水上年積もり 老いにけらしな黒き筋なし