世の中は何か常なるあすか川
昨日の淵ぞ今日は瀬になる
- 歌の意味
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世の中で、何が変わらずにあるというのか。飛鳥川は、昨日深い淵だった所が、今日は浅い瀬になっている。
- 鑑賞
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巻第十八 雑歌下 933
詞書「題しらず」
古今和歌集巻第十八雑歌下の巻頭歌で、飛鳥川の淵と瀬の移り変わりに託して、世の中に常なるものは何もないという無常を詠んだ歌である。昨日と今日という身近な時の隔たりで川の姿が変わることを示し、人の世の定めなさを印象深く言い表している。
「昨日の淵ぞ今日は瀬になる」は、世の移り変わりの激しさをいう「飛鳥川の淵瀬」という言い回しのもとになり、後世まで広く引かれた。
巻頭に無常の歌を置き、以下に世の中を憂しとする歌が続く。本巻の第九百九十首の伊勢の歌はこの歌の淵瀬を踏まえて家を売った身の上を詠み、巻末の第千首も山川の流れを詠んでいて、巻頭と巻末が川の景で呼応している。
作者は「読人しらず」とされ、名は伝わらない。
初句「世の中は」は、人の世、世間を主題として示す。本巻には第九百四十一首、第九百四十二首、第九百四十八首、第九百八十七首など「世の中」で歌い起こす歌が多く、巻頭のこの初句が巻全体の主題を掲げている。
二句「何か常なる」は、何が常であろうか、常なるものは何もない、の意。「か」は反語の係助詞で、「常なる」は連体形で結ぶ。二句切れで、以下の具体的な景へ移る。
三句「あすか川」は、大和国の飛鳥川。流れが変わりやすい川として知られる。川の名の「あす」に「明日」を響かせ、四句の「昨日」、結句の「今日」と時を表す語を並べている。
四句「昨日の淵ぞ」は、昨日まで深い淵であった所。係助詞「ぞ」を受けて、結句の「なる」が連体形で結ぶ係り結びである。
結句「今日は瀬になる」は、今日は浅い瀬になっている、の意。淵と瀬の対比によって、わずか一日の間の激しい変化を示している。
あすかがは:大和国を流れる飛鳥川。川の名に「明日」を掛ける
ふち:川の水が深くよどんだ所
せ:川の浅く流れの速い所
- 作者
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よみ人しらず
- 出典
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古今和歌集
- 前の歌
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刈りて干す山田の稲のこきたれて なきこそわたれ秋の憂ければ
- 次の歌
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幾世しもあらじわが身をなぞもかく 海人の刈る藻に思ひ乱るる