今更に何生ひ出づらむ竹の子の
憂きふし繁きよとは知らずや
- 歌の意味
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今さら何のために生まれ出てきたのだろう。竹の子は、節の多い竹のように、つらいことの多いこの世だとは知らないのだろうか。
- 鑑賞
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巻第十八 雑歌下 957
詞書「物思ひける時、幼き子を見てよめる」
物思いに沈んでいる時に幼い子を見て、つらいことの多い世に何のために生まれてきたのかと嘆いた歌である。子を竹の子にたとえ、竹の節と世のつらい折々とを重ねて、子の行く末を思いやる心と自らの嘆きとを表している。
次歌の第九百五十八首も呉竹の「憂きふし」を詠み、竹の縁語を用いた歌が並べられている。
作者の「凡河内みつね」は凡河内躬恒である。古今和歌集の撰者の一人で、甲斐少目、和泉大掾などを歴任した。三十六歌仙の一人に数えられる。
初句「今更に」は、今さら、の意である。
二句「何生ひ出づらむ」は、どうして生まれ出てきたのだろう、の意。「生ひ出づ」は竹の子が生えることと、子が生まれ育つこととを重ねている。二句切れである。
三句「竹の子の」は、竹の子、すなわち幼い子のたとえである。
四句「憂きふし繁き」は、つらい折の多い、の意。「ふし」は竹の「節」と、事の折を意味する「ふし」を掛ける掛詞で、竹の縁語となる。
結句「よとは知らずや」は、世の中だとは知らないのか、の意。「よ」は「世」と、竹の節と節の間を意味する「よ」を掛ける掛詞である。
おひいづ:生え出る、生まれ育つ
ふし:竹の「節」と、事の折、場合の意の「ふし」を掛ける
よ:「世」と、竹の節と節の間を意味する「よ」を掛ける
- 作者
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凡河内躬恒
- 出典
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古今和歌集
- 前の歌
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世を捨てて山に入る人山にても なほ憂き時はいづち行くらむ
- 次の歌
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よにふれば言の葉繁き呉竹の 憂きふしごとに鶯ぞなく