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木にもあらず草にもあらぬ竹のよの
端にわが身はなりぬべらなり

歌の意味
木でもなく草でもない竹の節のはしのように、わが身はどっちつかずの中途半端な者になってしまったようだ。
鑑賞
巻第十八 雑歌下 959

詞書「題しらず」
 木でも草でもない竹にたとえて、どっちつかずで身の置き所のないわが身を嘆いた歌である。竹の「よ」に「世」を重ね、世の中の端に追いやられた身の上を表している。
 左注に「ある人のいはく、高津のみこの歌なり」とあり、この歌を高津内親王の作とする説を伝えている。内親王は嵯峨天皇の妃となりながら、のちに妃の位を廃されたとされ、その境遇を思うと、どっちつかずの身を嘆く内容がよく合う。
 前の二首に続いて竹を詠み、竹を題材とする歌が三首並んでいる。
 作者は「読人しらず」とされる。左注の説による高津内親王は、桓武天皇の皇女である。

 初句「木にもあらず」は、木でもなく、の意である。
 二句「草にもあらぬ」は、草でもない、の意。初句と対になり、竹がどちらにも属さないことを示している。
 三句「竹のよの」は、竹の節と節の間の、の意。「よ」は竹の「節(よ)」と「世」を掛ける掛詞である。
 四句「端にわが身は」は、端のほうにわが身は、の意。竹の節の端と、世の中の片隅とを重ねている。
 結句「なりぬべらなり」は、なってしまったようだ、の意。「べらなり」は推量を表す平安初期の語である。本巻の第九百八十九首と同じ結句である。

よ:竹の「節(よ)」と「世」を掛ける
はし:物の端、中途半端な所
作者
よみ人しらず
出典
古今和歌集
前の歌
よにふれば言の葉繁き呉竹の 憂きふしごとに鶯ぞなく
次の歌
わが身から憂き世の中と名づけつつ 人のためさへ悲しかるらむ