あまびこのおとづれじとぞ今は思ふ
我か人かと身をたどる世に
- 歌の意味
-
山彦の音のように、人が訪れてくれることももうないだろうと今は思っている。自分なのか他人なのかと、わが身のありさまをたどりかねるほど呆然としているこの頃であるから。
- 鑑賞
-
巻第十八 雑歌下 963
詞書「左近将監解けて侍りける時に、女の訪らひにおこせたりける返事によみてつかはしける」
左近将監の官を解かれた作者が、見舞いの便りをよこした女への返事として贈った歌である。官を失って呆然とし、誰も訪れてはくれないだろうと思っていた心境を述べ、それだけに便りへの感謝をにじませている。
「我か人か」は、自分が自分とも思えないほど呆然とするさまをいう。官を解かれた嘆きは、次の第九百六十四首、第九百六十五首、第九百六十六首にも続いている。
作者の「をののはるかせ」は小野春風である。小野石雄の子で、武人として知られ、元慶の乱の鎮定に功があった。
初句「あまびこの」は、山彦の、の意。山彦は音を返すことから、二句の「おとづれ」の「音」を導いている。
二句「おとづれじとぞ」は、訪れることはないだろうと、の意。「おとづれ」は「訪れ」と山彦の「音」を掛ける掛詞である。「じ」は打消推量で、係助詞「ぞ」を受けて三句の「思ふ」が連体形で結ぶ。
三句「今は思ふ」は、今は思っている、の意。三句切れで、下の句と倒置の関係にある。
四句「我か人かと」は、自分なのか他人なのかと、の意。正気を失い呆然としたさまを表す。
結句「身をたどる世に」は、わが身のありさまをたどりかねている時であるので、の意である。
あまびこ:山彦、こだま
おとづる:山彦の「音」と、人が「訪れる」を掛ける
たどる:迷いながら探る、思い迷う
- 作者
-
小野春風
- 出典
-
古今和歌集
- 前の歌
-
わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に 藻塩たれつつわぶと答へよ
- 次の歌
-
憂き世には門させりとも見えなくに などかわが身の出でがてにする