光なき谷には春もよそなれば
咲きてとく散る物思ひもなし
- 歌の意味
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日の光の届かない谷には春もよそごとであるから、花が咲いてはすぐに散るような物思いもない。
- 鑑賞
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巻第十八 雑歌下 967
詞書「時なりける人の、にはかに時なくなりて嘆くを見て、自らの嘆きもなく喜びもなきことを思ひてよめる」
時勢に乗って栄えていた人が急に勢いを失って嘆くのを見て、栄えることも衰えることもない自らの身を思って詠んだ歌である。自分を光の届かない谷にたとえ、春が来ないかわりに、花が咲いてすぐ散るような急な浮き沈みの嘆きもないと述べている。
不遇の身を嘆きつつ、それゆえの平穏を見いだす歌で、栄華のはかなさを逆の側から照らし出している。
作者の「清原深事父」は清原深養父である。原文の「事」は「養」の誤りとみられる。清少納言の曽祖父にあたり、琴の名手としても知られた。中古三十六歌仙の一人である。
初句「光なき」は、日の光の届かない、の意。時勢の恩恵を受けない身をたとえている。
二句「谷には春も」は、谷には春も、の意。「春」は栄える時をたとえる。
三句「よそなれば」は、関わりのないことであるので、の意である。
四句「咲きてとく散る」は、花が咲いてすぐに散る、の意。にわかに栄えてにわかに衰えることをたとえている。
結句「物思ひもなし」は、物思いもない、の意。咲くことも散ることもない身の平穏を述べて結んでいる。
よそ:自分とは関わりのないこと
- 作者
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清原深養父
- 出典
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古今和歌集
- 前の歌
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筑波嶺の木のもとごとに立ちぞ寄る 春のみ山の蔭を恋ひつつ
- 次の歌
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久方の中に生ひたる里なれば 光をのみぞ頼むべらなる