野とならば鶉となきて年は経む
かりにだにやは君が来ざらむ
- 歌の意味
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ここが野となるならば、私は鶉となって鳴きながら年月を過ごそう。そうすれば、仮にでも、鶉を狩りにでも、あなたが来ないことがあろうか、きっと来てくれるだろう。
- 鑑賞
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巻第十八 雑歌下 972
詞書「返し」
前歌の第九百七十一首の在原業平の歌に対する、深草の里の女の返しである。里が野となるなら、自分は鶉となって泣きながら暮らそう、そうすれば狩りのついでにでも、仮にでもあなたが来てくれるだろうと詠み、待ち続ける心を示している。
業平の「野とやなりなむ」を「野とならば」と受け、野に住む鶉と狩りとを結びつけた巧みな返しである。この贈答は伊勢物語第百二十三段にも見え、男はこの歌に心を動かされて出て行くのをやめたと語られている。
作者は「読人しらず」とされ、深草の里に住んでいた女である。
初句「野とならば」は、野となるならば、の意。前歌の結句「野とやなりなむ」を受けている。
二句「鶉となきて」は、鶉となって鳴いて、の意。「なき」は鶉が「鳴く」と女が「泣く」を掛ける掛詞である。鶉は草深い野に住む鳥として詠まれる。
三句「年は経む」は、年月を過ごそう、の意。「む」は意志の助動詞で、三句切れである。
四句「かりにだにやは」は、仮にでも、の意。「かり」は「仮」と鶉の「狩り」を掛ける掛詞である。「やは」は反語の係助詞で、結句と呼応する。
結句「君が来ざらむ」は、あなたが来ないことがあろうか、きっと来るだろう、の意。反語の「やは」を受けて「む」の連体形で結ぶ。
うづら:キジ科の鳥。草深い野に住むものとして和歌に詠まれる
なく:鶉が「鳴く」と、女が「泣く」を掛ける
かり:「仮」と「狩り」を掛ける
- 作者
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よみ人しらず
- 出典
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古今和歌集
- 前の歌
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年を経て住みこし里を出でていなば いとどふかくさ野とやなりなむ
- 次の歌
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我を君難波の浦にありしかば うきめをみつのあまとなりにき