難波なる長柄の橋もつくるなり
今はわが身を何にたとへむ
- 歌の意味
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難波にある古い長柄の橋も、造り改められる(朽ち果てる)という。今となっては、年老いたわが身を何にたとえたらよいのだろう。
- 鑑賞
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巻第十九 雑体 1051
詞書「題しらず」
長柄の橋は古びたものの代表として歌に詠まれてきた。その橋さえ新しく造られる、あるいは朽ちて尽きると聞き、古びたわが身をたとえるものがなくなってしまったと嘆く歌である。古さの代名詞を失ったと言う機知が誹諧の趣となっている。
作者は伊勢である。伊勢守藤原継蔭の娘で、宇多天皇の中宮温子に仕え、宇多天皇の寵を受けた。中務の母で、三十六歌仙の一人である。
初句「難波なる」は、摂津国の難波にある、の意である。
二句「長柄の橋も」は、淀川に架かっていた橋で、古いものの代表として詠まれた。本巻の第千三首の長歌にも「長柄の橋の長らへて」とあり、老いの比喩として用いられている。
三句「つくるなり」は、橋を新たに「造る」と、朽ちて「尽くる」を掛ける掛詞である。「なり」は伝聞で、三句切れである。
四句「今はわが身を」は、今となってはわが身を、の意である。
結句「何にたとへむ」は、「む」が推量で、何にたとえたらよいのか、と嘆く。
つくる:橋を新たに「造る」と、朽ちて「尽くる」を掛ける
- 作者
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伊勢
- 出典
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古今和歌集
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雲晴れぬ浅間の山のあさましや 人の心を見てこそやまめ
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まめなれど何ぞはよけくかるかやの 乱れてあれど悪しけくもなし