三輪山をしかも隠すか雲だにも
心あらなも隠さふべしや
- 歌の意味
-
三輪山をそんなにも隠してしまうのか。せめて雲だけでも思いやりの心があってほしい。隠し続けてよいものだろうか。
- 鑑賞
-
巻第一 雑歌 18
詞書は前の歌に続き「額田王の近江国に下る時に作る歌、井戸王の即ち和ふる歌 反歌」
近江への遷都の途中、名残を惜しんで振り返る三輪山を雲が覆い隠してしまうことを嘆き、雲にさえ心があってほしいと訴える反歌である。長歌では奈良山の山の際に隠れるまで三輪山を見ながら行きたいと詠み、反歌はその思いを雲への呼びかけに凝縮している。三輪山は大和の国の神が鎮まる山であり、それを見送ることは大和の地との別れの儀礼でもあったとされる。左注は類聚歌林を引き、近江に遷都した時に天皇が三輪山を御覧になった御歌であると記しており、天智天皇六年(667)の近江遷都の際の作とされる。
作者の額田王は、万葉集初期を代表する女性歌人である。鏡王の娘とされ、大海人皇子(天武天皇)との間に十市皇女をもうけ、のちに天智天皇に仕えた。宮廷の儀礼や行幸の場で、天皇の心を代弁する歌を多く詠んだことで知られる。
初句「三輪山を」は、大和国の神の山である三輪山を挙げる。山そのものが神体とされ、都を離れる人々にとって大和を象徴する山であった。
二句「しかも隠すか」は、「しか」がそのようにの意、「も」が強め、「か」が詠嘆を含む疑問で、そんなにも隠してしまうのかと雲を責めている。ここで切れる二句切れである。
三句「雲だにも」は、「だに」がせめて〜だけでもの意の副助詞で、人ではない雲にさえ、と願いの度合いを示している。
四句「心あらなも」は、「なも」が他に対する願望を表す終助詞で、心があってほしいの意である。雲を人のように見なす擬人法となっている。
結句「隠さふべしや」は、「隠さふ」が隠し続けるの意、「べし」が当然、「や」が反語で、隠し続けてよいものか、いやよくないの意である。長歌の結句と同じ句を繰り返し、長歌と反歌を強く結びつけている。
かくさふ:隠し続ける
- 作者
-
額田王
- 出典
-
万葉集
- 前の歌
-
海神の豊旗雲に入日さし 今夜の月夜さやけくありこそ
- 次の歌
-
綜麻形の林のさきのさ野榛の 衣に付くなす目につく吾が背