川の上のゆつ岩群に草生さず
常にもがもな常処女にて
- 歌の意味
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川のほとりの神聖な岩々に草が生えないように、いつまでも変わらずにいてほしい。永遠の少女のままで。
- 鑑賞
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巻第一 雑歌 22
詞書「明日香清御原宮に天の下知らしめしし天皇の代、十市皇女の伊勢の神宮に参赴する時に、波多の横山の巌を見て吹芡刀自の作る歌」
伊勢神宮へ参詣する十市皇女に従った吹芡刀自が、波多の横山の岩々を見て、草も生えない岩のように、皇女がいつまでも若く美しい少女のままであってほしいと願った歌である。岩の不変性に寄せて永遠の若さを祈る予祝の歌であり、皇女への敬愛の情がこもっている。十市皇女は、壬申の乱で父の天武天皇と夫の大友皇子が争うという悲運を経た人であり、その背景を思うと祈りの切実さが一層感じられる。左注は日本書紀を引き、天武天皇四年(675)二月に十市皇女と阿閇皇女が伊勢神宮に参赴したと記している。
作者の吹芡刀自は、左注に「未詳」とあるように伝未詳の人物である。「刀自」は年配の女性に対する敬称で、十市皇女に仕えた女性と考えられている。
初句「川の上の」は、川のほとりのの意である。伊勢へ向かう道筋の川辺の情景を示している。
二句「ゆつ岩群に」は、「ゆつ」が神聖で清らかなの意、「岩群」が群がり立つ岩をいう。神の宿るような岩々を示し、永遠の象徴としている。
三句「草生さず」は、草が生えないの意で、「むす」は生えるの意の動詞である。岩が常に変わらず清らかであるさまを示し、初句から三句までが四句を導く比喩となっている。
四句「常にもがもな」は、「もがも」が願望の終助詞、「な」が詠嘆で、いつまでも変わらずにあってほしいの意である。ここで切れる四句切れで、結句と倒置の関係になっている。
結句「常処女にて」は、いつまでも若く変わらない少女での意である。四句の「常」と結句の「常」とを重ねて、永遠を願う思いを強調している。
いはむら:群がり立つ岩
むす:草や苔が生える
とこをとめ:いつまでも若く変わらない少女
- 作者
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吹芡刀自
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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紫のにほへる妹を憎くあらば 人妻故に我れ恋ひめやも
- 次の歌
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打ち麻を麻続の王海人なれや 伊良虞の島の玉藻刈ります