- 歌の意味
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私は昔の時代の人なのだろうか、そうでもないのに、楽浪の古い都を見ると悲しくてならない。
- 鑑賞
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巻第一 雑歌 32
詞書「高市古人の近江の旧き堵を感傷して作る歌(或る書に高市連黒人といふ)」
荒れ果てた近江の旧都を見て、自分は昔の都の時代の人でもないのに、なぜこんなにも悲しいのだろうかと詠む歌である。都の繁栄を直接知らない者でさえ心を揺さぶられるほどの荒廃ぶりを伝え、人麻呂の荒都歌と並んで近江の旧都を悼む作となっている。題詞の「高市古人」は、或る書に高市連黒人とあることから黒人の作とされているが、「古人」を作者名とみる説もある。
作者の高市黒人は、持統天皇と文武天皇の時代の歌人で、官位や経歴は明らかでない。行幸に従った旅の歌が多く、旅の寂しさを静かに見つめる叙景歌にすぐれている。
初句「古の」は、昔のの意で、近江に都があった過去の時代を指している。
二句「人に我れあれや」は、係助詞「や」が反語的な疑問を表し、私は昔の人だろうか、いやそうではないのにの意である。「や」は結句の連体形「悲しき」と呼応する係り結びとなっている。二句は字余りとなっている。
三句「楽浪の」は、本巻の第三十首、第三十一首の初句と同じ語で近江の旧都の地を示し、人麻呂の荒都歌と響き合っている。
四句「古き都を」は、荒れた近江大津宮の跡を指す。初句の「古」と四句の「古き」とを重ね、過ぎ去った時への思いを強めている。
結句「見れば悲しき」は、二句の「や」を受けて形容詞の連体形「悲しき」で結ぶ係り結びで、見ると悲しいことだと詠嘆をこめて結んでいる。次歌の結句「見れば悲しも」とほぼ同じ句で、二首が対になっている。
いにしへ:過ぎ去った昔
みやこ:天皇の宮のある所、都
- 作者
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高市黒人
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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楽浪の志賀の大わだ淀むとも 昔の人にまたも逢はめやも
- 次の歌
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楽浪の国つ御神のうらさびて 荒れたる都見れば悲しも