これやこの大和にしては我が恋ふる
紀路にありといふ名に負ふ背の山
- 歌の意味
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これがあの、大和にいては私が恋い慕っていた、紀伊への道にあるという、夫を意味する名を持つ背の山なのか。
- 鑑賞
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巻第一 雑歌 35
詞書「勢能山を越ゆる時に、阿閇皇女の作らす歌」
紀伊への旅で背の山を越える時、大和にいた頃から話に聞いて心ひかれていた、夫を意味する「背」の名を持つ山をついに目にした感慨を詠んだ歌である。作者の夫の草壁皇子はすでに亡く、「背」の名に亡き夫への思いを重ねているとみられる。持統天皇四年(690)の紀伊行幸に従った折の作とされる。
作者の阿閇皇女は、天智天皇の皇女で、草壁皇子の妃である。文武天皇と元正天皇の母であり、のちに即位して元明天皇となり、平城京に遷都した。
初句「これやこの」は、これがあのの意で、「や」が疑問を含む詠嘆の係助詞である。話に聞いていたものを初めて目にした驚きと感動を表している。
二句「大和にしては」は、大和にいてはの意で、「して」は場所を示している。旅立つ前の大和での日々を振り返っている。
三句「我が恋ふる」は、私が恋い慕っていたの意で、連体形で次へ続いている。背の山への思いに、亡き夫への思いが重ねられている。
四句「紀路にありといふ」は、紀伊へ向かう道にあるというの意で、伝え聞いていたことを示している。四句は字余りとなっている。
結句「名に負ふ背の山」は、夫を意味する「背」という名を持つ背の山の意である。背の山は現在の和歌山県伊都郡かつらぎ町にあり、紀の川を挟んで妹山と向かい合うとされる。結句も字余りで、体言止めによって感慨をこめて結んでいる。
きぢ:紀伊国へ向かう道
おふ:名として持つ、その名にふさわしい
せ:女性が夫や恋人を親しんで呼ぶ語
- 作者
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阿閇皇女
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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白波の浜松が枝の手向け草 幾代までにか年の経ぬらむ
- 次の歌
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見れど飽かぬ吉野の川の常滑の 絶ゆることなくまたかへり見む