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ま草刈る荒野にはあれど黄葉の
過ぎにし君が形見とぞ来し

歌の意味
草を刈るだけの荒れた野ではあるけれど、黄葉が散るように亡くなってしまったあの方の形見の地として、ここにやって来たのだ。
鑑賞
巻第一 雑歌 47

詞書は前の歌に続き「軽皇子の安騎の野に宿りたまふ時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌 短歌」
 安騎野は草を刈るだけの荒れた野ではあるが、亡くなった草壁皇子をしのぶ形見の地として、ここにやって来たのだと詠む歌である。前歌で眠れぬ夜の思いを詠んだのを受け、この地を訪れた目的を明かして、亡き皇子への追慕の情をはっきりと示している。
 作者の柿本人麻呂は、持統天皇と文武天皇の時代に活躍した宮廷歌人で、万葉集を代表する歌人である。官位は低かったとみられるが、長歌を中心に雄大で格調高い歌を数多く残し、後世には「歌聖」とたたえられた。

 初句「ま草刈る」は、「ま」が接頭語で、草を刈るの意である。「荒野」にかかる枕詞とされ、人が住まず草を刈るだけの野であることを示している。
 二句「荒野にはあれど」は、荒れた野ではあるけれどの意で、逆接の「ど」で下へ続いている。安騎野の寂しい景を示しつつ、それでも来た理由へと導いている。二句は字余りとなっている。
 三句「黄葉の」は、黄葉が散り過ぎることから「過ぐ」にかかる枕詞である。美しく散っていく黄葉に、若くして世を去った皇子の姿を重ねている。
 四句「過ぎにし君が」は、「過ぐ」が亡くなるの意で、「にし」は完了の助動詞「ぬ」と過去の助動詞「き」の連体形で、亡くなってしまったあの方の意である。草壁皇子を指している。
 結句「形見とぞ来し」は、「形見」がしのぶよすがとなるもので、係助詞「ぞ」を受けて過去の助動詞「き」の連体形「し」で結ぶ係り結びである。形見の地としてやって来たのだと、強い思いを示している。

あらの:人の住まない荒れた野
すぐ:時が過ぎる。ここでは人が亡くなる意
かたみ:亡き人をしのぶよすがとなるもの
作者
柿本人麻呂
出典
万葉集
前の歌
安騎の野に宿る旅人うち靡き 寐も寝らめやもいにしへ思ふに
次の歌
東の野にかぎろひの立つ見えて かへり見すれば月かたぶきぬ