大和には鳴きてか来らむ呼子鳥
象の中山呼びぞ越ゆなる
- 歌の意味
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大和にはもう鳴いて行き着いただろうか、あの呼子鳥は。象の中山を呼びながら越えて行くようだ。
- 鑑賞
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巻第一 雑歌 70
詞書「太上天皇の吉野の宮に幸す時に、高市連黒人の作る歌」
吉野の宮への行幸に従った折、呼子鳥が象の中山を鳴きながら越えて行く声を聞き、あの鳥はもう大和へ鳴きながら行き着いただろうかと思いやる歌である。人を呼ぶような鳥の声に、大和の家や人を恋しく思う作者自身の望郷の心を重ねている。
作者の高市黒人は、持統天皇と文武天皇の時代の歌人で、官位や経歴は明らかでない。行幸に従った旅の歌が多く、旅の寂しさを静かに見つめる叙景歌にすぐれている。
初句「大和には」は、故郷の大和にはの意で、望郷の思いの向かう先を最初に示している。吉野も大和国の内であるが、ここでは都のある大和の中心部を指している。
二句「鳴きてか来らむ」は、「か」が疑問の係助詞、「らむ」が現在推量の助動詞の連体形で結ぶ係り結びで、鳴いて行き着いただろうかの意である。
三句「呼子鳥」は、人を呼ぶように鳴く鳥で、カッコウの類とされる。体言で句を切り、鳥の名に「呼ぶ」の意を響かせている。
四句「象の中山」は、吉野の宮の近く、象山のあたりの山で、現在の奈良県吉野町宮滝の付近とされる。
結句「呼びぞ越ゆなる」は、係助詞「ぞ」を受けて、音によって推定する助動詞「なり」の連体形「なる」で結ぶ係り結びで、呼びながら越えて行くようだの意である。姿は見えず声だけを聞いている状況を示し、三句の「呼子鳥」の「呼」を「呼び」と繰り返して響かせている。
よぶこどり:人を呼ぶように鳴く鳥。カッコウの類とされる
- 作者
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高市黒人
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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草枕旅行く君と知らませば 岸の埴生ににほはさましを
- 次の歌
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大和恋ひ寐の寝らえぬに心なく この洲崎廻に鶴鳴くべしや