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うらさぶる心さまねしひさかたの
天のしぐれの流らふ見れば

歌の意味
心さびしい思いがしきりに満ちてくる。空から時雨が絶え間なく降り続くのを見ていると。
鑑賞
巻第一 雑歌 82

詞書は前の歌に続き「和銅五年壬子の夏四月、長田王を伊勢の斎宮に遣はす時に、山辺の御井にして作る歌」
 空から時雨が絶え間なく降り続くのを見ていると、心さびしい思いが満ちてくると詠む歌である。時雨の降るさまに旅のわびしさを重ね、静かな哀感が漂っている。左注は、この歌と次歌の二首は御井で作ったものとは思えず、当時口ずさまれていた古歌ではないかと疑っている。題詞の四月という季節と時雨とが合わないことからも、古歌を誦したものとみる説が有力である。
 作者の長田王は、奈良時代初めの皇族で、系譜は明らかでない。近江守や衛門督などを歴任し、天平九年(737)に没した。左注の疑いのとおり古歌を誦したものであれば、長田王自身の作ではないことになる。

 初句「うらさぶる」は、「うら」が心、「さぶ」がさびしくなるの意で、心がさびしくなるの意である。本巻の第三十三首の「うらさびて」と同じ語で、ともに心の荒涼を表している。
 二句「心さまねし」は、「さまねし」が数多い、しきりであるの意で、さびしい思いがしきりに満ちてくるの意である。ここで切れる二句切れで、結句との倒置になっている。
 三句「ひさかたの」は、「天」「月」「空」などにかかる枕詞である。
 四句「天のしぐれの」は、空から降る時雨の意で、晩秋から初冬にかけて降ったりやんだりする雨をいう。
 結句「流らふ見れば」は、「流らふ」が流れ続けるの意で、降り続くのを見るとの意である。本巻の第五十九首の初句「流らふる」と同じ語で、絶え間ない動きを表している。倒置によって、さびしさの原因を最後に示している。

うらさぶ:心がさびしくなる
しぐれ:晩秋から初冬に降ったりやんだりする雨
ながらふ:流れ続ける、降り続く
作者
長田王(古歌の誦詠か)
出典
万葉集
前の歌
山辺の御井を見がてり神風の 伊勢娘子どもあひ見つるかも
次の歌
海の底沖つ白波竜田山 いつか越えなむ妹があたり見む