やすみしし我ご大君の大御船
待ちか恋ふらむ志賀の唐崎
- 歌の意味
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我が大君の御船を、待ち恋しく思っているのだろうか、志賀の唐崎は。
- 鑑賞
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巻第二 挽歌 152
詞書は前の歌に続き「天皇の大殯の時の歌二首」
志賀の唐崎を人のように見立て、二度と戻らない大君の御船を今も待ちこがれているだろうかと、主を失った湖畔の寂しさを詠んだ一首である。
天智天皇の大殯の時の歌二首の二首目で、末尾の「舎人吉年」の小注によって作者が示される。小注は歌の本文から除いた。
作者の舎人吉年は、伝未詳の人物で、天智天皇に仕えた女官とする説がある。
初句「やすみしし」は「我ご大君」にかかる枕詞である。
二句「我ご大君の」は、我が大君のの意で、天智天皇を指す。
三句「大御船」は前歌の三句と同じで、天皇の乗った船をいう。
四句「待ちか恋ふらむ」の「か」は疑問の係助詞で、現在推量「らむ」の連体形で結ぶ係り結びである。待ち恋しく思っているだろうかの意。
結句「志賀の唐崎」は近江の琵琶湖西岸の地名で、体言止めによって唐崎を擬人化する。本巻の第二百六首の置始東人の歌の「志賀さざれ波」、第二百十八首の柿本人麻呂の歌の「志賀津」とともに、志賀の水辺が挽歌の場として詠まれている。
からさき:近江の琵琶湖西岸の地名
やすみしし:「我が大君」にかかる枕詞
- 作者
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舎人吉年
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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かからむとかねて知りせば大御船 泊てし泊りに標結はましを
- 次の歌
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楽浪の大山守は誰がためか 山に標結ふ君もあらなくに