ひさかたの天見るごとく仰ぎ見し
皇子の御門の荒れまく惜しも
- 歌の意味
-
天を仰ぎ見るように仰ぎ見ていた皇子の宮殿が、これから荒れていくのが惜しいことだ。
- 鑑賞
-
巻第二 挽歌 168
詞書は前の歌に続き「日並皇子尊の殯宮の時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌、反歌二首」
天を仰ぐように仰ぎ見てきた草壁皇子の宮殿が、主を失ってこれから荒れていくことを惜しんだ一首である。
草壁皇子の遺体を葬るまで安置した殯宮の時に、柿本人麻呂が作った挽歌で、長歌の第百六十七首は、天地の初めの神話から説き起こして皇子の死を悼む大作である。草壁皇子は天武天皇と持統天皇の皇子で、皇太子のまま持統天皇三年(689)に亡くなり、日並皇子尊と称えられた。本歌はその長歌に添えられた反歌二首の一首目である。
作者の柿本人麻呂は、持統天皇、文武天皇の時代に活躍した宮廷歌人で、長歌や挽歌にすぐれ、万葉集を代表する歌人である。後の時代には歌聖と称えられた。
初句「ひさかたの」は「天」にかかる枕詞である。
二句「天見るごとく」は、天を見るようにの意で、皇子を天のように尊んだことを示す。
三句「仰ぎ見し」の「し」は過去の助動詞「き」の連体形で、仰ぎ見てきたの意である。
四句「皇子の御門の」の「御門」は宮殿のことである。続く舎人らの歌でも、本巻の第百七十三首の「島の御門」、第百八十六首の「大き御門」など、皇子の宮殿がくり返し詠まれる。
結句「荒れまく惜しも」の「まく」は推量の助動詞「む」のク語法で、荒れていくであろうことが惜しいの意。「も」は詠嘆である。
みかど:宮殿の門。また宮殿そのもの
- 作者
-
柿本人麻呂
- 出典
-
万葉集
- 前の歌
-
磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど 見すべき君が在りと言はなくに
- 次の歌
-
あかねさす日は照らせれどぬばたまの 夜渡る月の隠らく惜しも