橘の島の宮には飽かぬかも
佐田の岡辺に侍宿しに行く
- 歌の意味
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橘の島の宮での勤めでは満ち足りないというのか、佐田の岡辺まで宿直しに行く。
- 鑑賞
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巻第二 挽歌 179
詞書は前の歌に続き「皇子尊の宮の舎人ら、慟傷して作る歌二十三首」
島の宮での勤めだけでは心が満たされないのか、佐田の岡辺まで宿直に通うと、主のいない宮と殯宮とを行き来する舎人の姿を詠んだ一首である。
詞書によれば、草壁皇子の宮に仕えた舎人たちが、皇子の死を嘆き悲しんで作った歌二十三首である。左注は日本書紀を引き、皇子が持統天皇三年(689)四月に亡くなったと記す。一連は、主を失った島の宮の庭や池、殯宮の置かれた真弓の岡や佐田の岡で宿直する舎人たちの嘆きを、さまざまな場面から詠み継いでいる。本歌は一連の九首目である。
作者は草壁皇子の宮に仕えた舎人たちで、一人一人の名は伝わらない。舎人は皇族や天皇の身近に仕えて警護や雑務にあたった役人である。柿本人麻呂が舎人の立場に立って作ったとする説もあるが、定まっていない。
初句「橘の」は飛鳥の地名で、島の宮のある地を示す。本巻の第百二十五首の三方沙弥の歌では、同じ「橘の」が木の名として詠まれている。
二句「島の宮には」は、島の宮ではの意である。
三句「飽かぬかも」の「飽く」は満ち足りる意、「かも」は疑問を含む詠嘆で、満ち足りないというのかの意。三句切れである。
四句「佐田の岡辺に」は、殯宮の置かれた佐田の岡のほとりにの意である。
結句「侍宿しに行く」は、宿直をしに行くの意で、皇子のそばを離れがたい思いを表す。
あく:満ち足りる
とのゐ:宮中などに泊まり込んで警護すること、宿直
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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み立たしの島を見る時にはたづみ 流るる涙止めぞかねつる
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み立たしの島をも家と棲む鳥も 荒びな行きそ年かはるまで