我が御門千代とことばに栄えむと
思ひてありし我れし悲しも
- 歌の意味
-
我らがお仕えする宮殿は千年も永遠に栄えるだろうと思っていた、その私が悲しい。
- 鑑賞
-
巻第二 挽歌 183
詞書は前の歌に続き「皇子尊の宮の舎人ら、慟傷して作る歌二十三首」
お仕えする宮殿が千年も永遠に栄えると信じていた自分が、今となっては悲しいと、裏切られた思いを嘆いた一首である。
詞書によれば、草壁皇子の宮に仕えた舎人たちが、皇子の死を嘆き悲しんで作った歌二十三首である。左注は日本書紀を引き、皇子が持統天皇三年(689)四月に亡くなったと記す。一連は、主を失った島の宮の庭や池、殯宮の置かれた真弓の岡や佐田の岡で宿直する舎人たちの嘆きを、さまざまな場面から詠み継いでいる。本歌は一連の十三首目である。
作者は草壁皇子の宮に仕えた舎人たちで、一人一人の名は伝わらない。舎人は皇族や天皇の身近に仕えて警護や雑務にあたった役人である。柿本人麻呂が舎人の立場に立って作ったとする説もあるが、定まっていない。
初句「我が御門」は、我らがお仕えする宮殿の意である。
二句「千代とことばに」は、千年もいつまでも変わらずにの意である。
三句「栄えむと」の「む」は推量で、栄えるだろうとの意である。
四句「思ひてありし」は、思っていたの意である。
結句「我れし悲しも」の「し」は強意、「も」は詠嘆で、そう思っていた私自身が悲しいと結ぶ。一連の六首目の第百七十六首と同じく、永遠を信じた仕えの心が断たれた嘆きである。
とことば:いつまでも変わらないこと、永久
- 出典
-
万葉集
- 前の歌
-
鳥座立て飼ひし雁の子巣立ちなば 真弓の岡に飛び帰り来ね
- 次の歌
-
東のたぎの御門に侍へど 昨日も今日も召す言もなし