- 歌の意味
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東の滝のそばの御門に控えてお仕えしているけれども、昨日も今日もお召しになるお言葉もない。
- 鑑賞
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巻第二 挽歌 184
詞書は前の歌に続き「皇子尊の宮の舎人ら、慟傷して作る歌二十三首」
島の宮の東の門に控えて仕えているのに、昨日も今日も皇子からのお召しの言葉がないと、主の不在を日々実感する悲しみを詠んだ一首である。
詞書によれば、草壁皇子の宮に仕えた舎人たちが、皇子の死を嘆き悲しんで作った歌二十三首である。左注は日本書紀を引き、皇子が持統天皇三年(689)四月に亡くなったと記す。一連は、主を失った島の宮の庭や池、殯宮の置かれた真弓の岡や佐田の岡で宿直する舎人たちの嘆きを、さまざまな場面から詠み継いでいる。本歌は一連の十四首目である。
作者は草壁皇子の宮に仕えた舎人たちで、一人一人の名は伝わらない。舎人は皇族や天皇の身近に仕えて警護や雑務にあたった役人である。柿本人麻呂が舎人の立場に立って作ったとする説もあるが、定まっていない。
初句「東の」は、東にあるの意で、一連の十六首目の第百八十六首にも「東の大き御門」とある。
二句「たぎの御門に」の「たぎ」は水が激しく流れる所で、滝のそばにある島の宮の東門を指すとされる。
三句「侍へど」の「侍ふ」は貴人のそばに控えて仕える意、「ど」は逆接である。
四句「昨日も今日も」は、来る日も来る日もの意である。
結句「召す言もなし」は、お召しになるお言葉もないの意で、主のいない現実を言い切る。
たぎ:水が激しく流れる所、滝
さもらふ:貴人のそばに控えてお仕えする
- 出典
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万葉集
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我が御門千代とことばに栄えむと 思ひてありし我れし悲しも
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水伝ふ礒の浦廻の岩つつじ 茂く咲く道をまたも見むかも