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水伝ふ礒の浦廻の岩つつじ
茂く咲く道をまたも見むかも

歌の意味
水が伝い流れる庭の池の岸辺の岩つつじが盛んに咲いている道を、またいつか見ることがあるだろうか。
鑑賞
巻第二 挽歌 185

詞書は前の歌に続き「皇子尊の宮の舎人ら、慟傷して作る歌二十三首」
 島の宮の庭の池の岸辺に岩つつじが咲き乱れる道を、宮を去る身としてまた見ることがあるだろうかと、名残を惜しんだ一首である。
 詞書によれば、草壁皇子の宮に仕えた舎人たちが、皇子の死を嘆き悲しんで作った歌二十三首である。左注は日本書紀を引き、皇子が持統天皇三年(689)四月に亡くなったと記す。一連は、主を失った島の宮の庭や池、殯宮の置かれた真弓の岡や佐田の岡で宿直する舎人たちの嘆きを、さまざまな場面から詠み継いでいる。本歌は一連の十五首目である。
 作者は草壁皇子の宮に仕えた舎人たちで、一人一人の名は伝わらない。舎人は皇族や天皇の身近に仕えて警護や雑務にあたった役人である。柿本人麻呂が舎人の立場に立って作ったとする説もあるが、定まっていない。

 初句「水伝ふ」は、水が伝い流れるの意で、「礒」にかかる枕詞ともされる。
 二句「礒の浦廻の」は、庭の池の岩の岸辺の入り組んだ所の意である。
 三句「岩つつじ」は、岩の間に咲くつつじである。
 四句「茂く咲く道を」の「茂く」は盛んにの意で、つつじが咲き乱れる道をいう。
 結句「またも見むかも」は、またいつか見ることがあるだろうかの意で、本巻の第百四十六首の結び松の歌の結句と同じである。

うらみ:入り江の入り組んだ所
いはつつじ:岩の間に生えるつつじ
出典
万葉集
前の歌
東のたぎの御門に侍へど 昨日も今日も召す言もなし
次の歌
一日には千たび参りし東の 大き御門を入りかてぬかも